はじめまして。ゆにろぐ運営者のじゅんです。
このページでは、私のちょっとした自己紹介や、ブログを運営するに至った経緯、目指すところをご紹介したいと思います。
ゆにろぐのテーマ
ゆにろぐは、『心豊かに笑顔で暮らす毎日を』目指すゆに家のログ(記録)を残したいと思い始めました。
「どっか知らないオバさんの記録?知ったこっちゃないや」とブラウザを閉じるのはちょっと待ってください!
人生に欠かせないこの3つのテーマを主軸に書いていくので、きっと読んでくださるあなたの参考になることがあるはず。
- 日々のごはん
- お金のこと
- LIFE
この3つのテーマを主軸と置いた理由を、まずは簡単にご説明したいと思います。
1.日々のごはん
食べること=生きようとする意思
そう思うのは、子供の頃に読んだCLAMPの『X』というマンガの影響が強いのだと思います。
7歳という幼い年齢にしてたった一人の身内を亡くし、天涯孤独となった嵐が「ゴミを食べて生きる意味があるか」と食べることを拒み。けれど「貴方が死ねば私は悲しむ」と言ってくれる人と出会ったことで、ご飯を前に両手を合わせ、小さな声で「いただきます」というお話。本編とは関係のないたった9ページのショートストーリーです。
空腹を満たすだけならばカップラーメンでもコンビニ弁当でも出来るけれど、大切な人と食べた記念日の食事は何年経っても忘れないものもの。旅行で散々美味しいものを食べてきたはずなのに、家に帰って味噌汁を飲むとホッとする。
食というのは、生活の根幹なのだと思います。
けれど日々の生活はそれ以外にも大切なことがたくさんあるから、負担にならないことも大切。
そのバランスをうまく取れるよう、日々模索しています。
2.お金のこと
資本主義社会を生きていく上で、お金は欠かせないものです。
振り回されず、悩まされることなく上手に付き合っていく方法を日々模索中。
年収300万台ながら、共働きで現在の世帯金融資産は1200万強。
家計管理の仕方や節約術など赤裸々に公開しています。
3.LIFE
趣味や家のこと、旅行のことなど雑多に書き留めていきたいと思っています。
自己紹介
名前 | じゅん(jyun) |
---|---|
年齢 | 34才 |
生年月日 | 1984年5月14日 |
干支 | 子年 |
星座 | 牡牛座 |
血液型 | AB型 |
出身・居住地 | 静岡市 |
住環境 | 資金援助0で土地探し→注文住宅 |
兄弟姉妹 | 4才上の姉と3才下の妹を持つ3姉妹の真ん中 |
最終学歴 | 高校卒業 |
資格 | 日商簿記2級 |
全商簿記・工業簿記1級 | |
ファイナンシャルプランナー3級 | |
文書処理能力検定1級 | |
情報処理能力検定1級 | |
職業 | 税理士事務所にフルタイムで務め始めて14年目 |
年収 | 給与税込年収約340万+α |
趣味 | ブログ運営 |
読書(自己啓発系、マンガ・小説 (少年・少女マンガからTLBL、二次創作まで幅広く) |
|
お風呂・岩盤浴 | |
食い倒れ・呑み倒れ | |
一人旅 | |
神社仏閣めぐり(ご朱印集め) | |
週末着物ライフ | |
大切なもの | 家族 |
一人時間 | |
座右の銘 | 今の自分の価値は「過去に何を経験してきたか」ではなく 「自分の未来に何を期待しているか」で決まる |
性格 | 計画を緻密に練り、予定通り進むのが快感。 |
でも計画作って満足して終わってしまうこと多し。 | |
効率化・快適化のための出費は惜しまないが、 納得いかないものにはお金を払いたくない |
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ストレスや疲れを自覚しないまま溜め込んでしまう | |
集中すると話しかけられても気づかないほど集中するが、 深くはのめり込めない器用貧乏。 |
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執着心が薄く忘れっぽい | |
よく聴く音楽 | ジャズ、ボサノバ、ボカロ、クラシック、ヒーリングミュージック |
家族構成
夫 | |
---|---|
名前 | ゆた |
年齢 | 37才 |
干支 | 申 |
星座 | 射手座 |
血液型 | A型 |
兄弟姉妹 | 年子の妹がいる長男 |
最終学歴 | 高校卒業 |
職業 | 機械修理業 |
年収 | 約330万 |
趣味 | 車(スバリスト) |
長男 | |
---|---|
名前 | むぅ |
年齢 | 15才(高校1年) |
干支 | 未 |
星座 | 牡羊座 |
血液型 | A型 |
趣味 | バレー |
カードゲーム |
次男 | |
---|---|
名前 | まこ |
年齢 | 11才(小6) |
干支 | 子 |
星座 | 水瓶座 |
血液型 | AB型 |
趣味 | カードゲーム |
略歴
アドラー心理学において、過去は現在や未来の性格を規定することはありえないとされています。
それは同じ特定の過去を持つ全員が同じ未来に行くとは限らないからです。
しかし過去があるからこそ現在があるというのも一理ありますので、ざくっと私の過去をお話したいと思います。
楽しい話ではないと思うので、気になる方だけ読んでくださいませ。
酒乱の父に怯えて育った幼少期
はっきりとした記憶があるのは母子家庭となった年長ころからですが、断片的なおぼろげな記憶があるのは4才ころから。
仕事から帰ってくると遊んでくれる優しい父が、夜になって酒を飲むと大声を出して暴れて怖かったのを覚えています。
酷い家庭内暴力に耐え続けていた母が離婚を決意したのは、父が私たち子どもにも手をあげようとしたからだと聞きました。
真夜中に起こされ、父が寝ている隙にパジャマ姿のまま家を出て、しばらく母の友人宅に身を潜めていました。
当時通い始めていた保育園も休み、私たちがいるんじゃないかと訪ねてきた父から押入れの布団にくるまって隠れた日々。
しばらくして母子寮への入寮が決まり、6畳1間で母子4人での暮らしが始まりました。
1年くらい経ったころでしょうか。
離婚が決まり、最後に一目とやつれた父に会ったのが父との最後の思い出です。
家を飛び出す直前まで専業主婦だった母に安定した収入などなく、そんな母子家庭が裕福なはずもありません。
服は全てもらいもののお下がり。
クリスマスプレゼントはリサイクルショップで購入したもの。
ランドセルは寄付でもらったもの。
保育園で販売するイベントの写真すら買えない生活で、逃げるように飛び出した頃までを含め幼少期の写真はほとんどありません。
今振り返れば母も私たち姉妹を守るために必死だったのだろうと感謝してやみませんが、当時の私は酷いストレスで円形脱毛症を発症していたそうです。
友人と思い出を振り返れない小学生時代
姉の中学進学をきっかけに、制限の厳しかった母子寮を出て暮らすようになり転校しました。
新しい生活にようやく慣れ、小学3年生となったときのことです。
当時は何故母と姉の都合で自分が仲の良い友人たちと引き離されて辛い思いをしなければならないのかと恨みましたが、転校先の学校は幼少期過ごした地と近かったこともあり、すぐに友人ができ楽しく過ごしました。
けれど悲しかったのは卒業アルバムを見た時。
「懐かしい」と盛り上がる友人たちの中で、私だけが同じ思い出を共有できませんでした。
中学でも転校をしたため、やはり同じ思いをしました。
いい子を辞めた高校進学
転校前の中学ではいじめにあっていました。
きっかけは部活動。
陸上部を選んだのは足が早かったから多少自信があったこともありましたが、一番の理由は剣道や吹奏楽などよりはお金がかからないだろうと思ったからでした。
私が小4の時に母は過労で倒れて入院をしたのですが、朝8時から17時までのパートと夜20時から深夜1時までのアルバイトを掛け持ちする生活が続いていました。
母が父と離婚するために父の借金を背負ったと知ったのもこの頃です。
そんな母の負担を少しでも減らしたくて選んだ部活だったのに、結局用品購入や陸上スクールなどで家計に負担をかけるのが申し訳なくなり、部活に行かず家で洗濯ものを干すなど少しでも母の負担を軽くしたいと思うようになりました。
けれど当時部活動は義務。
参加しなければいけない部活動に出ないで帰っていたので、いじめの対象になりました。
リスカするようになり、けれど母にも誰にも相談できない状況。
そんな生活の終止符は転校でした。
けれど転校先の中学ではターゲットとなっている人を一緒になっていじめなければ、今度は自分がまたいじめられるという状況。
いじめられる辛さはわかっていたはずなのに、私は何もすることができませんでした。
見て見ぬふりをされるのは、いじめだと知っていたはずなのに。
ターゲットとなっていたのは小学校時代の友人だったにも関わらず…。
そんな自分が嫌で、相変わらず裕福とは言えない暮らしのなか自分の自由になるお金も欲しくて高校には進学せず働くつもりでした。
しかし唯一の逃げ道であるかのように勉強だけはしていたからでしょう。
進学校に推薦を貰える成績だったこともあり母の大反対にあい、折衷案として定時制高校に進学しました。
妊娠・結婚・出産をした高校時代
金銭的な負担をかけることは嫌で、学費は奨学金を受けつつ教科書代や昼食代は入学式よりも早く始めたバイトで稼ぎ、自分で払っていました。
しかし元々進学する気がなかったので学校はサボりがちに。
昼過ぎに起きてカップラーメンを食べてバイトに行き、明け方まで外で遊ぶ。
そんな生活をしていました。
いくつかの恋を経験して、結局人とはいつか別れるものなのだと思い始めたころ、友人の紹介でゆたさんと出会い付き合い始めました。
1年半ほど付き合ったころ一度別れたものの、再び付き合い始めてすぐに妊娠が判明。
当時18才。
相手であるゆたさんは21才。
結婚は悩みましたが、子どもを産むことに迷いはありませんでした。
自分の家族ができる。
当時ろくに帰らないほど家庭環境が荒れていた私は、そう考えたのです。
それでも父親として一緒に育てていくと一貫して言い続けてくれるゆたさんと結婚。
母に相談をしたときに突きつけられた条件は1つ。
『一人でも子どもを育てていけるように、高校だけは卒業すること』でした。
理想と現実の狭間で自殺を考えた産後うつ
自分がいじめに苦しみリスカするほど追い詰められていたのに気づいてくれなかった母。
そんな母にはならない。
そう思い、1年の休学を得て出産。
理想の母親像というものを模索しました。
高校は1年の休学を決め、出産。
とにかく「若いお母さん」的な目で見られることが多く、またゆたさんの実家に一緒に住ませて貰うかたちで同居。
いい母・いい嫁でいなきゃ。しっかりしなきゃというばかり強く、テレビドラマで見るような完璧な専業主婦を目指すものの、性分だったのか180度真逆のことをしようとしたからか酷い産後うつに。
一時は子どもと一緒に死ぬことも考えました。
自分でしっかりと稼ぐ力を得るために勉強
ゆたさんが家を出て一緒に家庭を作っていこう言ってくれたことで徐々に意識の変化。
しかし相変わらず残業ばかりで帰宅も遅かったゆたさんに信じきれず、とにかく一人で子どもを育てていけるようにと復学後は資格取得に励む。
「3年勤めれば一生経理の仕事でどこかしらで雇ってもらえる」
そう噂に聞いた会計事務所へ就職。
義父母との同居解消
私が働き始めたと同時に完全同居の二世帯住宅を建てる話が持ち上がったものの、これ以上の同居は無理と伝え同居解消。
「困ってるときだけ頼って…」などとかなり批判されましたが、ゆたさんがはっきりと「自分で選んだ奥さんを優先するのは当たり前」と宣言してくれました。
ゆたさんの帰宅は相変わらず遅かったものの、自分のペースで家事をできることでだいぶ楽に。
ゆたさんも家事に積極的に参加してくれるようになりました。
二人目の妊娠&家の購入
3人での暮らしが安定してきた頃、2人目の妊娠が判明。
長男むぅさんの小学校入学も控えてきたので、今後の生活拠点について再考。
- 子どもがいじめに遭うなどやむを得ない事情でない限り転校をしなくていい住環境
- 子どもたちが大きくなったとき帰ってきたいと思える家
- 思い出があふれる実家でありたい
ライフプランニングの末、家の購入を決定。
土地の選定・建築士と間取り考案→入札により工務店にて建築。
ブログを始めたきっかけは友人に言われたある一言
「人生消化試合だな」
誰に言われたかも思い出せないのですが、この言葉が心にグサッと刺さったまま抜けずにいます。
当時の私の年齢は23才。
ゆに家では次男誕生後に家を建て、住宅ローンの返済が始まった頃でした。
独身生活を謳歌している友人から見れば、結婚・出産・マイホームと大きなライフイベントを終えた私たちは確かにそのように見えたのかもしれません。
けれど、人生100年と言われる時代。
まだ1/4です。
1日に置き換えれば朝6時。
新しい一日が始まるぞ!頑張るぞ!!
って気合入れる頃ですよね。
そう。私はまだスタートラインに立ったばかり。
この人生をどう生きるか。
そう考えたのがはじまりです。
『心豊かに笑顔で暮らす毎日』とは
マンダラートというものをご存知でしょうか?
日本ハムへ入団後、現在はメジャーリーグで活躍する大谷翔平選手が目標設定シートとして利用していたことで一躍有名になりました。
実際に大谷選手が花巻東高校1年のときに立てた目標達成表がこちらです。
参考:https://newspicks.com/news/893396/body
1つの目標に対して8つのサブ目標を考え、皿にそのサブ目標に対して8つの目標を設定することで、目標を具体化・細分化し、達成しやすくしようというものです。
マンダラートの中心に書いた目標が大きな目標だとしても、細分化された目標であれば達成可能な気がしてきませんか?
そんなマンダラートを知った私が、中心に書いた人生の目標こそが
『笑顔で過ごす毎日』
この『笑顔で過ごす毎日』を得るために必要だと考えた8つの要素は
- 家族
- 健康
- 金銭的な豊かさ
- 自分磨き
- 趣味の充実
- 仕事の充実
- 勇気
- 礼儀
人は漫然とした生活の中に幸せを見つけることはできません。
そして人間はすぐに慣れる生き物でもあります。
苦しいことにも辛いことにも、そして幸せにも慣れてしまう生き物なのです。
だから笑顔で毎日を過ごすためには、常にその方法を模索し、成長し続けなければならないのです。
また、人間は忘れる生き物でもあります。
エビングハウスというドイツの心理学者によると、20分後には42%を、1ヶ月後には79%を忘却するそうです。
出典http://nextglobaljungle.com/2008/12/post_373.php
成長したことに気付けないと、自己承認欲求は満たされないままになってしまいます。
変わりゆく時代のなか成長し続けたい。
そして、そんな自分を好きになって笑顔で毎日を過ごせるように。
その記録を書き留めたいと『ゆにろぐ』を立ち上げました。
ゆにろぐの運営実績
2016年12月8日 開設
が、続かずorz
2018年1月 再始動
したはずが、またしても挫折_| ̄|○
アクセスのないブログを書くのって
「こんなに時間割いて書いて何の意味があるの?」
「誰にも見られないブログなんて無いのと一緒でしょ」
「こんなの書いても誰のためにもならないよ」
って本当心折れます゚。゚(゚´Д`゚)゚。
それでも2018年9月17日
もう一度頑張ってみようと、もう何度目になるかわからない再チャレンジ。
2018年11月1日ブログ村『共働き夫婦』カテゴリーランキング2位に!
2018年12月以降月間PV1000overするようになりました!
2019年2月ブログ村『共働き夫婦』カテゴリーランキング1位に!
2019年3月 累計10,000PV達成!